もっと詳しく

ロシアとウクライナの戦争は開戦から5か月が経過した。サイバー戦や情報戦など21世紀の「新しい戦争」はどう繰り広げられたのか。日本の守りの今後を考えるため、自衛隊時代、サイバー防衛隊の創設にも携わった佐々木孝博さん(広島大学、東海大学客員教授)にウクライナ戦争の教訓を聞いた。(3回シリーズの1回目)

ロシアの目を曇らせた「成功体験」

――ロシアによるウクライナ侵攻開始から、5か月が経ちます。開始当初、ロシア軍のお粗末な戦いぶりが指摘されていましたが、一方で長期化の様相を呈しています。なぜ当初、ロシアは「早期に決着がつく」と思い込み、そして失敗したのでしょうか。

佐々木孝博(ささき・たかひろ)1962年東京都生まれ。1986年防衛大学校卒(30期)、博士(学術)。海上自衛隊入隊後、オーストラリア海軍大学留学、在ロシア防衛駐在官、下関基地隊司令などを経て、2018年防衛省退職(海将補)。在ロシア防衛駐在官として外交・安全保障の最前線での勤務に携わった経験や、初代統合幕僚監部サイバー企画調整官として防衛省のサイバー攻撃対処指針の制定・サイバー防衛隊の創設に携わった勤務経験などから、ロシアの軍事・安全保障、情報戦、サイバーセキュリティなどを専門としている。著書に『近未来戦の核心 サイバー戦』(育鵬社)、共著に『現代戦争論―超「超限戦」』(渡部悦和氏との共著、ワニブックスPLUS新書)がなどがある。

【佐々木】さまざまな要因がありますが、大きいのはやはりかつての「成功体験」でしょう。2014年のクリミア半島危機の際には、一方では軍事力を使い、もう一方ではサイバー空間で情報戦やインフラを麻痺させるような攻撃を行ったことで、あっという間に目的を達成することができました。

しかも、ロシア国民に「ロシアのやったことは間違っていない」と思い込ませただけでなく、相手国であるウクライナ国民、さらには「住民投票でクリミアのロシアへの帰属が認められた」などとしたことで、国際社会もすべてとは言いませんが、一定数の国や人々がロシアの言い分を鵜呑みにしてしまったのです。

その手法と成功は私たちから見ても非常に大きな脅威で、その後自衛隊も、「有事と平時の区別はない」「宇宙、サイバー、電子戦が重要だ」と、いつでもどこでも、あらゆる領域に及ぶ非軍事的手段と、古典的な軍事手段を使ってくるロシアの「ハイブリッド戦」に備えなければ、と警鐘を鳴らしてきました。

それから8年がたち、ウクライナは「二度とあのようなことは許さない」とばかりに、負けた教訓を生かしサイバーや通信はもちろん、軍事力の増強に励んできました。特に情報戦の分野はかなり徹底していて、当然ロシアだけでなくウクライナもプロパガンダ活動を行ってます。「ブチャの悲劇」などロシアを不利にさせるような被害情報は出ますが、ウクライナが不利になるような情報は一切流れてこない。特に、ウクライナ正規軍の動きに関しては、初期に少し市民から漏れただけで、後は徹底して管制されています。

これはもちろん、ウクライナ一国でやったのではなく、英米を始め、欧米諸国が相当協力しています。侵攻開始直後には欧米のIT企業がウクライナの通信網を維持するために、相当、協力していたこともわかっています。

一方のロシアは、おそらく2014年の成功体験があまりに鮮やかなものだったので、「同じようにやっていれば大丈夫だろう」と思い込んでしまった可能性があります。

2014年の対ロ経済制裁が戦況に影響か

――ロシア軍の進化が止まっているうちに、ウクライナ軍がグンと成長したということですか。

【佐々木】はい。成功体験からは、なかなか学ぶことは難しいと思います。もう一つ、実情の話をすれば、クリミア併合後にロシアは各国から経済制裁を加えられました。これが効いたのではないか、という点です。

――確かにG8から外され、経済制裁も加えられましたが、一方で今でも「ロシアは天然ガスを売っているから経済的にはそんなに困窮していない」「制裁は抜け穴だらけ」とも言われていますよね。それでも「結構効いた」のですか。

【佐々木】例えば半導体です。ロシアの半導体の輸入先は、割合としては中国が多いものの、そのほかは台湾やアメリカ、日本からも輸入していました。しかしそれが経済制裁で輸入を規制されて7年、8年経ったとなると、精密な半導体を必要とする軍事面に与える影響を考えざるを得ません。

現在の軍事における通信やその他の精密兵器を実戦で使う際に、最先端の性能であるかどうかは、勝敗を大きく左右します。侵攻直後、ロシアの司令官が次々にスナイパーの標的になりました。これは、確実に司令官のいる位置が把握できなければできないものです。

現在の近代的な部隊における指揮通信技術は、一部は衛星を使ったり、暗号化したりして位置が分からないようにする。特に衛星通信は指向性の高い電波が上空の衛星に向かって送信されるので、地上では傍受されにくい。ロシアも暗号化システムや衛星通信は持っているはずですが、結果論で言えばあれだけ標的になったということは、その種の装備が末端まで届いていなかったのかもしれませんね。

アメリカが行った「攻勢的サイバー作戦」とは

アメリカとロシアのサイバー攻撃戦が展開(BeeBright /iStock)

――いくらアメリカのシステム支援が優れていたとしても、ピンポイントで狙うのは難しい、と。

【佐々木】はい。ということは情報が洩れているということも考えられます。西側のインテリジェンスで「この辺りにいる」という情報をつかみ、一方でテレグラムというロシアでもウクライナでも使われているスマホアプリに通報の窓口を設定し、民間人にロシア軍を見たらその情報を通報してもらうということもやっていたようです。その情報をインテリジェンスとマッチングし、さらにドローンを飛ばして確認する。そうやって的を絞っていったんでしょう。

一方、ロシアには最先端の半導体や、西側の集積回路、チップなどが入ってこず、そうした通信機器の性能が8年前のまま、あるいは中国製の代替品を使っていたと考えると、その影響が苦しい展開に繋がっている、と考えても不思議はありません。

――しかもウクライナ側はどんどん最先端の機器が入ってきている。ここにも経済安全保障的観点があったんですね。

【佐々木】さらにアメリカはロシアに対して「攻勢的なサイバー作戦を行っている」とはっきり述べています。6月上旬、アメリカ国家安全保障局(NSA)長官でサイバー軍司令官でもあるポール・ナカソネ大将が、NATOのサイバー紛争に関する国際会議「CyCon」で「私たちは攻撃・防御・情報作戦の全範囲にわたって一連の作戦を実施してきました」と発言しています。

もともとアメリカは、ナカソネ司令官の下で2018年から「ハント・フォワード」作戦を行ってきました。ロシアが悪意のあるフェイクニュースや偽情報を流すのに対抗して、正確な情報を流すとともに、ハッキングなどの行為を防ぐ取り組みを行ってきました。

侵攻直前の2021年12月にはウクライナ政府の招待に応じてサイバー専門家をウクライナ入りさせており、2月までこの「ハント・フォワード」作戦を展開していたと言います。侵攻前には退いた、としていますが、これによってロシアが行ってきたウクライナ内部での情報工作やそのために使われた拠点やルートが、かなりつぶされたのではないでしょうか。

プーチンに上がらなかった正しい情報

ロシア大統領府サイト

――しかし、それをロシアは察知していなかった。あるいは英米の軍事顧問団がウクライナで軍事支援を行っていたことなども、察知はしていたけれど、大したことないと思っていたのでしょうか。

【佐々木】ここはあくまでも推測になりますが、察知はしていたのでしょうが、部下がプーチン大統領に正確な情報を上げられなかったのではないかと。当初から指摘されているように、プーチン大統領はコロナを理由に、側近ですら寄せ付けなくなっていたと言われています。そういう状況では、報告担当者はいつにもまして、報告内容に気を使ったでしょう。プーチン大統領に「うまく行っています」と状況を楽観視できるような情報ばかりを選択して上げていた可能性はあります。

――「なんでそんな事態になってんだ、何やってんだ!」とどやされるからですか。

【佐々木】相手が怖い指揮官だと、悪い情報を上げるのは抵抗がある。状況が悪くなっていることが知られれば、自分が責任を問われますからね。

そういう気持ちは分からなくはない。だから私も現役時代、自分が指揮官になったときは、部下にそう思わせないようにしようと思いました。正しい情報が入ってこなければ、正しい判断はできませんから。

誤った報告に基づいて判断したばっかりに、侵攻当初は特に「聞いていたのと違う」「なぜうまくいかないんだ」という話になったのでしょう。それで担当者が左遷されるなどしましたが、全体の戦略目標、グランド・ストラテジーが描けないままの状態が続いていたのだと思います。

明らかになったロシアの真の野望

――「始めてみたら、思っていたのと違う」と分かっても、途中で辞められるものではないのですね。

【佐々木】そうはいかないのでしょう。始めた以上は、何か戦果を得なければなりません。もともとの侵攻の理由もドンバス地域と言われる東部2州の独立を大義名分にしており、ウクライナ全土を取ると明言したことはありません。しかし首都キーウを攻撃してしまった以上、後戻りできなくなってしまいました。

ロシア国内の一部でも「東部地域を助けに行く話じゃなかったのか」「キーウを取って、政権を転覆させるのはおかしい」という話はあったようですが、公にはしていなかった「ウクライナ全土を手中に収めたい」という野望が明らかになってしまったのです。