ロシアとウクライナの戦争は開戦から5か月が経過した。サイバー戦や情報戦など21世紀の「新しい戦争」はどう繰り広げられたのか。自衛隊時代、サイバー防衛隊の創設にも携わった佐々木孝博さん(広島大学、東海大学客員教授)はロシア側の特徴として「現実世界の安全保障も、情報空間の安全保障も、まったく区別はない」と指摘します。(3回シリーズの2回目)
「こんな本音を文書にするのか」
――いわゆるロシアの「サイバー戦」についてですが、「サイバー」と言った時には、世論を撹乱するような「情報工作」と、インフラを破壊して都市機能をマヒさせるような「物理攻撃」の二つの面がありますよね。
【佐々木】ロシアの場合は軍事に直結する事項は、いずれの活動も国防省・ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)が管轄しています。今言われた、インフラを対象とした攻撃や情報を盗むスパイ活動などは、物理的な軍事行動や電子戦と一緒に行われるからです。
また、情報工作についても、ロシアは次のような認識を持っています。
情報戦とは、「重要な情報システム、情報プロセス、情報資産、その他の重要なインフラを破壊するための国家間の紛争(情報空間におけるロシア連邦軍の活動に関するコンセプト:2011年)」と位置づけ、その脅威に対抗するためにとる手段の一つとして、「国家にとって不利な情報と心理的な影響の無力化(情報安全保障ドクトリン:2016 年)」を掲げています。
これらの戦略文書を読む限り、ロシアは「インフラ破壊」「心理戦」などを分けることなく、すべてをひっくるめて「情報戦」としているのです。1つめの文書はちょうど私が統合幕僚監部のサイバー企画調整官として勤務していたときに出てきたもので、「え、こんな本音を言う文書を出すのか」と率直に驚いて、当時すぐに論文を書きました。
プーチン大統領が2012年の首相当時に発表した「強くあれ――ロシアの国家安全保障」の中でも、「情報戦空間における軍事能力は重要な意義を持つことになる」「核兵器と並んで政治・戦略目的を達成するための新しい手段となり得るもの」としています。
ウクライナでの情報活動は「国内問題」扱い
――ロシアではウクライナ侵攻前も軍が情報工作を手掛けていたのですか。
【佐々木】軍事活動以外の情報活動は主としてインテリジェンス組織が担っています。実はウクライナ問題は、ロシアにとっては国内問題という扱いなんです。ウクライナだけでなく独立国家共同体(CIS)と呼ばれる旧ソ連の構成共和国で形成された共同体があり、CISに関する情報活動は、国内問題担当の連邦保安庁(FSB)が取り仕切っています。
ウクライナは2014年にCISから脱退しているのですが、それでもロシアでは、ウクライナに対しては「国内の分離・独立活動を阻止する」という所掌の局が情報活動を取り仕切っています。ウクライナ侵攻後、FSBの局長が「正しい情報を上げていなかった」として責任を問われ自宅軟禁されたということも報道されています。
さらにロシアには外国に対する情報活動を目的とする対外情報庁(SVR)もあり、ここは例えばロシアが、我が国に対する情報活動を行う際にも担当する部署になります。ウクライナ国内でもSVRは動いていましたが、これは主にウクライナとアメリカ、ウクライナとNATOの関係などウクライナへの国際的な支援の内容を探っていたようです。
国内であれ、国外であれ、ロシアの認識では、いわゆる現実世界の安全保障も、情報空間の安全保障も、まったく区別はない。それは他国に対する攻撃だけではなくて、他国から入ってくるものに関しても同じように見ています。
ロシアが抱える「被害者意識」
――「ロシアの情報戦」というと、こちらは「ロシアが我々に攻撃してくる」ことに注目するわけですが、ロシアとしては「むしろ自分たちの方が攻撃されている」と受け取っている、という面もあるんですか。
【佐々木】そうです。ロシアは2021年に発表した「国家安全保障戦略」で、「ロシア社会を不安定にさせるために、テロ行為の実行に必要な恣意的な虚偽の情報が、主として若者をターゲットにインターネットにより流布されている」としています。これは実際には自分たちが外に向けてやっていることなのですが、ロシア視点で見れば、GAFAなどが席巻し、情報環境が欧米由来のシステムを下地としてできていることで、情報そのものが欧米化していくこと、つまりロシアにとって不都合なものになっていくことを警戒しています。
そのため、本当は中国のように、ロシア国内だけで完結するネット環境を作りたい。少なくとも、いざとなったら外からの情報流入を遮断して、外からの「有害情報」が拡散するのを防ぎたいと考えているのです。
そのためにロシアは中国とも協力して、インターネット環境に関する国際的な枠組みを作ろうと動いています。技術力で勝る国からの脅威を排除するのは難しいので、「国際情報安全保障条約」などを締結することで、その脅威を少しでも軽減しようという狙いがあります。
「ナラティブ」流布に注意せよ
――ロシアが端々に滲ませる「被害者意識」が気になっていたのですが、西側の情報が自由に入ってくることそのものが、ロシアにとっては「脅威」でもある、ということなのですね。
【佐々木】歴史的に積み重なってきた被害者意識があるのは確かです。そもそも、ロシアには日本で言うところの「安全」と全く同等な言葉がありません。「安全」を辞書で引くと「危険でない」という言葉が出てきます。つまり、相手に対してとにかく警戒して、危険につながりそうなものを叩き潰していかなければ、いわゆる「安全」は保てないという脅威認識なのです。
危機に対する考え方そのものが、やはり我々とはちょっと違う。現実の空間でも、サイバー空間でも、「押し出さなければ押し込まれてしまう」という脅威感覚があることは知っておいた方がいいでしょう。
また、ここで気を付けなければならないのは、ロシアは事実とフェイクを織り交ぜながら「ナラティブ(物語)」を作りだし、ロシアが有利になるような情報環境を構築しようとすることです。今回のウクライナに関しても、プーチン大統領は「現代ロシアの源流はキエフ公国であり、ロシアとウクライナは一体 不可分だ」という言い方をします。確かに部分的には事実ですが、「だから主権国家のウクライナはロシアに従属すべきだ」となるのはおかしい。
ロシアが「被害者意識」を交え、「アメリカやNATOが、本来一つであるべきロシアとウクライナの間を引き裂いている」「しないと約束したはずのNATOの東方拡大を欧米が破ったのが問題だ」などと言って、侵攻を正当化する。これは主に国内向けの情報工作ですが、アメリカや日本などの西側諸国でも「ロシアの理論武装をそのまま受け入れてしまう人」がいるので、注意が必要です。